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人と猿の違いとは?

サルのヒトの違いって何でしょうか?

結論から言うと文明を作れるか否か?

これが人とサルの違いと言えるのでは無いか?と思います。

なぜ文明を作れるか?ということは後世に記録を伝える手段があるということです。

つまり歴史という概念を作れるかどうかだと私は考えています。

おそらく一匹の猿が新しいことを発見してもそれを伝えれる手段が少なすぎ、他の猿がの新しいことを発見した猿の行動などを見よう見まねで真似をし伝わっていくという非常に効率の悪い文明の広がり方をすると思います。

猿と比べて人間はどうでしょうか?歴史という明文化された情報を多くの人にまとめて伝えることができます。この時点で文明の広がりの差が出てきます。

つまり文明の発達速度が格段に違うということです。それに新しいことを発見した猿が死んでしまうとそこでその新しい発見は消えてしまいます。しかし人間はさっきも書いたように明文化することで後世に伝えることができるので、発見者が亡くなった後も貴重な記録として後世に受け継がれていきます。

大きく言うとこの2点が人間と猿たちの大きな分岐点ではないかと私は考えます。

人間は最も知能の高い人でIQ200前後、猿はどんなに賢くともIQ70ぐらいまでしか無く、同じ霊長類であるにも関わらず知能が大きく違います。

しかし、動物界の中ではサルも一応賢い動物です。

猫のIQは20ぐらいですからそれに比べれば全然賢い方です。

人間は大きな脳みそを持ち、抽象的、複雑な思考が出来、様々な感情を感じることができる。

そして何よりも言葉を操る事ができる。文字を発明している。

サルは文字を発明していない。この差が知能指数の差や文明発達の差に大きな影響を与えているのでしょうね。

もしサルがあと少しIQが高ければ文字を発明していたかも分かりませんよ?

様々な感情を感じることができると書きましたがこれはサルも同じです。しかし、その幅が違います。

嬉しい・楽しい・悲しい・悔しいなどの感情は人間もサルも感じることが出来ます。

しかし、人間は脳が発達しすぎている為なのか様々な状況に応じて多種多様な感情を持ちます。

食に関しては

人間とほとんど消化器系の構造が変わらないので、同じようなものを理論上食べることができます。しかし、野生の猿は人間のような調理という過程がないので主には果物や植物などを主食としているようです。それ以外には昆虫などの虫も食べています。しかし知能の高いチンパンジーなどは狩猟も行い他の哺乳類などの捕食することもあります。しかしそれは生きるためであって人間のように美味しいものを食べたいという欲求などはなく日々を生き延びるための食事です。

だけど猿は味がわからないのか?そんなことはないと思いますなぜなら観光地とかで人間の作ったものの料理の味を覚えるともう自然の中で食べれるものでは満足できません。

なので市街地によく出没することになります。つまり自分たちで食品の加工ができないので奪うという選択肢になるんだと思います。

では猿やチンパンジーが料理を覚えたらどうか?

これは単独の個体では可能かもしれませんしかし、その料理を作れる猿が死んでしまうとそれを伝えるすべがなくそこで終わってしまいますそこもやはり人間と猿の違いではないかと思います。

人間だとレシピや文献などに記録として残すことができますが猿などはボディランゲージや近くでしかおそらく情報共有できません。なので後世に伝えるということができないので料理という概念は猿にはないのだと思います。

衣に関しては

猿は毛皮があるので服を着る必要性がありません、しかしなぜ人間は服を着て、サルは服を着ない。なぜこんな変化が生まれてしまったのでしょうか?

多くの野生動物には毛皮というものがありますこれは体を守るためや保温効果や、紫外線など外的要因から皮膚を守る役目があります。

なんでこんなメリットだらけの毛皮を私たち人類は捨ててしまったのでしょうか?その答えは人間の知能の増加にあると思います。猿たちよりはるかに高度なコミュニケーショングループを作り言葉や文字などボディランゲージなどの非言語的コミュニケーションではなく言語的コミュニケーションをとることによりさらに高度な狩りをすることが可能になりました。そうすると、どういうことが起こるか?狩りをするということは獲物に逃げられる可能性もあります。

そうすると獲物を追いかけなければなりません、そうなった場合毛皮がある野生動物と毛皮のない人間どちらが先にバテてしまうでしょうか?

そうですよね毛皮のある獣の方が体温調整がうまくできなくなり先にバテてしまいます。変わりに人間は毛皮がなく汗をかくことによって体温調節がしやすくどこまでも獲物を追いかけることができます。これが人間に毛皮がなくて猿に毛皮があることの違いかと思います。

猿は集団で狩りをする習性がありません、野菜や果物など植物系の食材が主食になっています。

なので人間のような高いスタミナは必要ありません。それよりかは体を守るため保温性を高めるための毛皮の方が有利ということでさらに毛皮が残っています。

また、人間はどうして裸を恥ずかしいと感じるのでしょうか?

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これも人間の作った規範というものに当てはめられるからだと思います。もし今までに恥ずかしいという概念が人間の文明の中に登場しなければアフリカなどの裸族の民族のようにひょっとすると羞恥心のない生活を行っていたかもしれません。

住に関しては

まず猿には特定の巣というものをもちません。もし仮に猿たちが人間のように一箇所で定住するとどのようなことが起こるか想像してみましょう。

まず食料の食べかすなどはその辺に落とします。

そして次に排泄物どれもやはり特定の場所するわけもなくその辺りで用を足します。古代四大文明(エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明)などでも排泄物による感染症が大きな悩みの種になっていました。

文明があってもこのようなことが起こるので文明のない猿たちにとってはどうなることでしょうか?

そうです、あっという間に集団感染を起こしそのコロニーは消滅してしまいます。つまり特定の場所に住み続けるということは自分たちで衛生管理を行い排泄物の処理に至るまで自己完結しなければなりません。これを行うには非常に高度な文明と知識が必要になります。

このことから猿たちが特定の巣を持たない理由がわかりますね?

つまり猿たちは自然と理にかなった生活スタイルにおのずとなっていってるんだと思います。それは一朝一夕ではなく、長い時間をかけて少しずつ遺伝子に刻み込まれ今の安定した生活を送れるようになっているんだと思います。

しかし人間は遺伝子に刻み込まれる前に文明を作ることができるのでトライアンドエラーを繰り返す効率的に進化をすることができます。

ただ、体が環境の変化に追いつかないので、家という建築物を作ることになりました。

猿などと違い毛皮もない人間は気温の変化に非常に弱いです。なので知恵を使ってそれをカバーする必要がありました。初めは洞窟などを特定の住居で生活を行い、さらに文明が発達すると、木造建築を行うようになりました。

性生活?

また、性生活もサルと人間は大きく違います。人間は性行為の際、動物が考えないようなちょっと普通じゃない妄想などをしたりする人が増えてきました。いわゆる、変○というやつですwこれも脳が発達しているからこその負の産物と言えるでしょう。

こちらの記事にも書きましたが、ボノボのように知能の発達と共に、コミュニケーションの一環としてホカホカという擬似生殖行為を行うあたり、やっぱり関係あるのかも?

ボノボのホカホカが結構衝撃的で面白い!

仮に、人間が今の半分ぐらいの知能しかなかったら今のような世界にはなっていなかっただろうし、宇宙の解明やインターネットも存在していなかったと思います。そして、○態も現われなかったでしょう。

それはそれは、サル同様の生活のクオリティだったのだろうと思います。

別にサルをバカにしている訳ではありません。

しかしつくづく思うのです。サルって寝て、食べて、交尾して、小競り合いをして、表情やボディーランゲージなどで非言語コミュニケーションをするだけ。生活様式や行動パターンはほぼ全て決まっています。

人間はそれプラス言葉を操り、ビジネス、娯楽、スポーツ、芸術などの文明が発達しなければ登場しえなかった物事を感情を持って行うことが可能で、人それぞれ多種多様な生活様式、行動パターンを持ちます。

人間の知能が今より上がると?

仮に人間の平均的な知能が今の倍になったとしたらどうでしょう?

もしそうなった場合、今の文明に満足出来ず退屈を感じる事と思います。あらゆる物事がくだらなく感じてしまう。

サルの娯楽もあるにはあるのでしょうが人間がその娯楽を楽しめるかどうかというとそうでは無いような気がします。それは単純すぎて簡単すぎてちっとも面白みのない物事だと映るからです。

それだけ知能が高いと複雑さを求めるので、ちょっとやそっとの事では満足する事が出来ないのだろうと思います。

しかし、人類が2倍の知能を持つようになったら思わぬ発見や大発明につながり、文明は加速度的に進化していくことでしょう。

現代はネット社会です。そして、様々な技術も発達してきています。この200年間で世の中は大きく変貌を遂げました。それは技術革新のお陰に他なりません。今後、文明は更に発展していきます。

サルの社会の限界は人間社会から見ればわかります。

しかし、人間社会の限界(文明発達の限界)はまだまだ分かりません。

西暦2015年のこの世の中、まだまだ発達し続ける技術。

あと100年後の未来は何があるのでしょうか?きっと我々が想像もつかないような世の中になっている事だと思います。なぜなら、100年前のヒトにインターネットで物を買う事なんて想像できたでしょうか?恐らくできていなかったと思います。それと同じことです。

2115年はあり得ない何かが必ず存在する。これは確実に言える。

そう考えると非常にワクワクしてきますね。この感情を感じることが出来るのも人間が持ちうる「未来を想像し、そこに感情を感じる事」ができるおかげです。

この力を使えば様々な事を成し遂げる事が可能になるのだろうと思います。

と、サルと人間の違いについて語っていたのが100年後の未来の話しになってしまいました。まだまだ言いたいことは沢山ありますがとりあえずこの辺で。